当館のプレ・オープンと並行して、ホームページも開設されましたが、「ホームページの命は更新だよ」とA氏から指摘され、改修工事も数年続く状況での「更新」について、無い知恵を絞ってみました。
母屋には、三郎先生の長女・純子さんが継続して生活していましたから、分からないことや知りたいことを尋ねにいく中で、純子さんは「面白い話の宝庫」であることや杉浦家には代々引き継がれてきた「お宝」が屋敷蔵に保管されていて、純子さんご姉妹から町に寄贈していただける意向であることなどを伺い、それらの紹介や純子さんのお話をメインにブログという形で紹介していくことで、H・Pの更新も図っていこうと始めたのが「杉浦醫院四方山話」です。
前後して、20年来読んだ本などの情報交換を楽しんできたY氏が、「今は、チキリンさんが面白いよ」とネット上の「Chikirinの日記」と云うブログを教えてくれました。当時(約4年前)は、女性覆面ブロガー・チキリンも現在ほど売れっ子ではありませんでしたが、「おちゃらけ社会派」を自認して発する内容と「そんじゃーね!」で終わる文体は、それなりに楽しめました。その中に「ブログは蓄積がすべて」と云う話があり、「3年後も読まれているか」「読手を想定して書いているか」と云ったチキリンのブログテクニックが開陳されていました。単純な私は、「そうか、一定数を継続して書いていくことだな」と理解した結果が、300話になりました。そういう面では、チキリンさんは師でもありますが、現在のチキリン日記は、云わんとすることが分かってしまうことも多く、あまり読みませんから、ブログの読者なんて身勝手な者だと自分自身で実感できますし、個人が日々発信していく内容的限界やマンネリ化は避けられないことも必然のように思いました。
そういう意味では、町内外の方々から顔を合わせるたびに「ブログ読んでるよ」「サボっちゃダメだよ」と声をかけられたり、県外からの来館者が「ブログを読んで来ました」とか「あのブログを書いてる方ですか」と言われ、案内がスムーズになったり、何より純子さんから「私やここの事を東京の親戚が全部知っているんです。姪からからも安心だって電話がありました。凄い時代なんですね」と喜んでもらったりが書いていく励みにもなりました。
「個人的にはホームページもいらない」と思っていた全くのアナクロ人間が、まさかブログなどというモノに係るとは思ってもいませんでしたが、必要に迫られ写真の採り込みなども覚えましたから、「労働が人間を作る」のマルクスは、矢張り正しいのでしょう。 賢明な方なら書く前に考えておのが当然なのでしょうが、愚鈍な私は、書いていく中で「書いて開示していくことの意味」についても考えざるをえなくなりました。
杉浦醫院を町が購入する意味は、私も担当の端くれでしたから「品格ある町づくりに寄与できる文化施設としての活用」を議会にも説明しましたが、根底には「自分が惚れ込んだ建造物」であったことが大きかったように思います。
「先ず惚れること」を何より優先する脳のクセがあり、「惚れたら口説く」が定石ですから、私の中では定石通りコトを進めたようにも思いますが、「惚れた所で働けるなら益々磨きをかけて」と掃除にも熱が入りますから、「先ず惚れる」は、マルクスは見落としましたが「凡人の価値」のようにも思います。
饒舌はさておき、「品格ある町」に欠かせないモノとして、単に建造物としての杉浦醫院だけでなく、町民が共有できる「杉浦醫院物語」と云った「物語の醸成」が必要不可欠だと意識するようになりました。これは、角野町政のテーマである「コンクリートから人へ」と重なる「ソフト」を抜きにした町づくりはもろいと云う歴史的事実でもあります。30話位まで、その辺を薄々感じながら書きましたが、「書いて開示していくことの意味」を遅まきながら考える中で、「杉浦醫院四方山話」で昭和町、中巨摩郡、甲府盆地、甲州の歴史や風土、人々なども視野に、話を重ねていくことも杉浦醫院物語や昭和町物語を醸成していく一つの具体的試行であると考えるようになりました。
まあ、大風呂敷を広げると収拾が付かなくなりますからこの辺で雑駁な総括としますが、ただ単にブログを書き続ければ、物語が構築されるなどと思っているわけではなく、国の登録有形文化財五件を有する杉浦醫院の建造物を最大限活かしての文化発信と子どもから大人まで来館者が杉浦醫院ファンになっていただく為の仕掛けや試行を重ねていくことが基本です。「杉浦醫院四方山話」もその仕掛けや試行の一つとして、これからも書いて行く所存です。
本年はキリの良いこの300話で締め、また来春から初心に帰ってお目にかかりたく思います。ご愛読に感謝申し上げ、ちょっと早い気もしますが、皆様よいお年をお迎えください。
2013年12月21日土曜日
2013年12月18日水曜日
杉浦醫院四方山話―299『かおり幼稚園年長組来館-2』
杉浦醫院を見学しての鉛筆画2枚も児童画と云われる子どもの絵画の面白さに溢れています。
上のりょうすけ君の絵の右から水色の池、その横に長方形を積み重ねたのは医院の階段で、下のけんた君の絵でも中央に横からの階段が描かれていますから、昔の一直線の急な階段は、現代っ子にはインパクトがあったのでしょう。二人とも同じく壊れた大きな古時計の上と下に調剤室の薬瓶や薬棚が描かれていますから、大人も目を見張る薬棚は子どもにも・・・・当然ですね。
上のりょうすけ君の絵は、左上は土蔵のひさしに残っているスズメバチの巣、その右はホタルの幼虫を飼育している水槽、左下は土蔵和室に展示している軍刀、その右が応接室のソファーの椅子とグランドピアノ、玄関先から覗いた母屋の鶴の絵画、その右上は、土蔵和室に展示している矢羽の着物・・・・と、りょうすけ君の見学記録が的確に残されています。
下のけんた君の絵は、中央の階段が、実見出来ない横からの視点ですから、けんた君の頭を通過したモノが描かれているわけで、個々の絵も簡単には特定できない記号論として観る者に読みとりを迫ります。例えば、画面左下に並ぶ10個の造形に思わず「うーん」で、先に進めません。超夕暮れ族が強いて答えれば、土蔵ギャラリーに展示してある器展の器ではないか?位です。画面中央下のショベルカーのような絵も当日、確かに納屋の工事はしていましたが、ショベルカーはありませんでしたから、全く違うもので??そうか名前のけんたの下にあるから、「けんた」は「建太」で、ひょっとしてけんた君のトレードマークが建設機械で、落款替わりのサインか??
けんた君の再訪によるご教示をお願いするしかありません。
2013年12月14日土曜日
杉浦醫院四方山話―298『かおり幼稚園年長組来館-1』
余談はさておき、その座卓での様子も上手に描かれていますが、手前3枚の茶系など色や柄もまちまちの座布団も実際絵のとおりですから、座布団が畳の上にずらっと並んでいる和室もこの子にとっては新鮮な光景だったのでしょう。
かおり幼稚園の絵画指導には定評がありますが、12時までの見学の後、園で昼食を食べ終わった子から、杉浦醫院の見学会で印象に残ったことを好きにお絵描きした作品とのことですが、パターン化された「お礼の手紙」より内容がありずっと面白く、子どもも学年が進むということは、一面夕暮れに向かっていくことなんだなあ~と実感してしまいました。
2013年12月10日火曜日
杉浦醫院四方山話―297『杉浦診察所』
2013年12月4日水曜日
杉浦醫院四方山話―296『門前に新駐車場』
下の写真は、東西に走る旧道を西から撮影したものです。道の両端には白線が引かれ歩道になっていますが、ご覧のように段差がある訳ではなく車の擦れ違いには当然歩道にもかかります。昭和浄水場に代表されるように水の町・昭和には、水路も至る所にありますが、車社会への対応や歩道確保のため水路に溝蓋(こうぶた)をして道路の拡幅を図ってきましたから、この旧道の左側、杉浦醫院の板塀沿いも溝蓋のかかった道路で、下には水が流れています。
この道を東に進むと昭和高校や甲府西高、西に進むと農林高校がありますから、朝夕は自転車の高校生の往来も多く、自動車は対向車同士譲り合ってが日常的なので、それはそれで広い道路を我が物顔で走り去るより上等かもしれません。
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