2013年10月26日土曜日

 杉浦醫院四方山話―284 『トモエソース-1』

 昨年の土蔵改修工事に続き、納屋の工事が始まりました。それに合わせて、納屋にあった杉浦家の書籍や瀬戸物、農具、家電製品、ビンなど多種多様なむやみに処分できない歴史的な収蔵物を移動して保管しました。

 これらについても整理しながら随時ご紹介していきますが、先ずは「トモエソース」の空き瓶が3本ありましたので、「トモエソースは杉浦家御用達のソースだったと思うのですが」と純子さんに聞いてみました。
 「トモエソース?初めて聞く名前ですね。ソースでは、ブルドッグソース位しか記憶にありません」
「生産者が甲府市深町二の一五四 塩沢節逢とありますが、深町ってどの辺でしたか?」
「女学校の時、深町から来ていた頭が良くってきれいな同級生がいましたから三日町の先だったか?確かではありません。そうそう、昔はソースより醤油でしたから、敷島醤油は覚えています。敷島で作っているから敷島醤油だと思っていましたが、女学校に行くようになって荒川橋の先、上石田に敷島醤油の大きな工場があって、甲府で作っているのを初めて知りました」と・・・

 純子さんには記憶のない「トモエソース」ですが、居合わせた昭和18年生まれの永関さんが、「生まれが穴切だったので、物心ついた5,6歳の頃、歩いて行った城東の親戚の辺で、トモエソースと書いてあった煙突を見た記憶がある」とのことで、 調べてみると、甲府市深町は「現在の甲府市城東1,2丁目で、旧桶屋町と工町から三ノ堀を隔てて東に接する郭外の武家地で、城下の南東端に位置する」とあり、永関さんの記憶どおりでした。
更に「甲府深町の歴史」と云う書籍も出版されていることも分かり、町立図書館レファレンスで、近々借りられることになりましたから、武家地・深町の歴史についても紹介できたらと思います。

 インターネットで「トモエソース」を検索すると全国には同じ名前のソースが幾つかあり、岡山県倉敷の「トモエソース」は、現在も県内ではメジャーなソースとして人気があるようです。また「トモエ〇〇」と云った製品や会社名もたくさんありました。

 これは、商標トモエが「巴(ともえ)」に由来しているからでしょう。「巴」は、「市松」や「唐草」「花菱」などと同じ日本の伝統的な文様で、 勾玉(まがたま)又はコンマをデザインしたような巴紋(ともえもん)という家紋もありますから、「トモエ〇〇」名が多いのも製造者や起業者の家の紋が巴紋だったことから命名されたのでしょう。また、寺社の神紋・寺紋にも巴紋は多く、太鼓などにも描かれる縁起の良い文様だったことも関係しているように思います。               巴を円形に配し、それぞれ一つ巴(ひとつどもえ)、二つ巴(ふたつどもえ)、三つ巴(みつどもえ)と言いますが、右写真のように甲府市深町の「トモエソース」は、三つ巴(みつどもえ)の代表的な巴紋のデザインです。

 大相撲の千秋楽でも優勝決定戦で「巴戦(ともえせん)」になることがあります。これは、相星の力士3人による優勝者決定のための戦いで、3人がそれぞれ2 人の力士と取組を行い、2連勝した力士が優勝となりますから、巴は、三つ巴が一般的でもあるのでしょう。