山梨県甲州市塩山にある高野家住宅は、この地で江戸幕府に納める甘草を栽培していたことから、「甘草屋敷」と呼ばれ、国の重要文化財にも指定されています。
高野家住宅の主屋は、切妻屋根の前面上部に二段の突き上げ屋根のある「甲州民家」と呼ばれるこの地方特有の建築で、江戸時代後期の建築です。蔵などの付属建物も多く、敷地内にある古民家をそのまま塩山図書館分館の「甘草屋敷子ども図書館」として活用するなど文化財建造物の活用でも著名です。
「甘草」は、薬草として江戸時代は、幕府官営の小石川御薬園で栽培し、幕府の貴重な収入源となっていましたから高野家の甘草は、この小石川御薬園の甘草を補給するため栽培され、江戸時代から「甘草屋敷」と呼ばれてきたそうです。
杉浦家も初代杉浦覚道が、江戸初期にこの地で醫業を始め代々これを継いできましたが、特に五代杉浦道輔は、「若くして江戸に行き、古醫学を当時の名醫磯野弘道師に学び、郷に帰り先代の後を継ぎ醫業を為し、更に関西から遠く長州まで各地の薬園を訪れ、諸州の山野を歩き薬草を採取して回り、艱難辛苦の数年を経て帰郷し、自ら薬園を開き醫業に役立てた」旨が杉浦健造先生頌徳誌に記されています。
また、この道輔氏は、文人としても著名で「峡中歌人」とも呼ばれ、「後年、清韻道人と号し門人を育て、慶応三年十月五十八歳にて没す」とあります。
八代目の健造先生は、この祖父道輔氏の偉業を顕彰すべく昭和四年に新築した醫院棟の前の薬園に「清韻先生壽碑」を建立しましたから、この碑が建っている一帯は道輔氏が全国を回って採集した薬草や薬木を自ら植えて造った薬園だった訳で、春には「シャカ」が、この梅雨時には「カンゾウ」の花が咲きます。
この「シャカ」や「カンゾウ」が薬草として有効だったのか?はたまた甘草屋敷のカンゾウと杉浦醫院のカンゾウは同じなのか?次話に続きます。