2013年6月21日金曜日

杉浦醫院四方山話―247 『ひょっとこ』

 私が「台所」について純子さんに尋ねた折、「お勝手は・・・」と、台所ではなく「お勝手」と云う言葉が自然に出てきました。同じ場所を指す言葉ですが、居間をお茶の間と言ったり日本語は多様です。

 重箱の隅をつつく様な些事にこだわるのは苦手で、大雑把な人生を送ってきましたが、前話の「へっつい」のように時代と共に消えゆく言葉もありますし、死語となっている言葉や語源を明らかにしておくのも「伝承館」の役割かな?と思い直し、「台所」と「お勝手」についても調べてみると、私が発した「台所」の方が古い言葉であることも分かりました。

 台所の語源は、≪平安時代の台盤(食物を載せるための脚付きの台)のある所≫という説が有力ですが、「炊き所」が転じたという説もあるようです。要は諸説あるということですから、純子さんの説明にもあった、「いろんな台があった」所だから台所が一番すっきりするなあとも思いました。「台所」の読みは「ダイドコロ」ですが、日常会話では「ダイドコ」と言っていたような気もしてきましたが、抜けてる私の間抜け読みだったのでしょうか?

 「台所」同様「勝手」の語源もいろいろあるようです。
糧(かて)を炊ぐ場所であることから「糧」が転じて「勝手」になったという説が有力のようですが、糧(かて)は、「生活の糧」という言葉があるように生活を担う金銭でもあり、家計をやりくりする所という意味での「お勝手」なら、「お勝手は火の車」となるはずですが、「台所は火の車」が慣用句ですから、「糧(かて)説は、どうもなー」です。
 もう一説、弓道では弓を持つ左手を「押し手」、弦を引く右手を「勝手」といい、固定されている左手に対し、右手は自由が効く手とされ、女性が自由に使える所を弓道の右手になぞらえて、「お勝手」と云うようになったという説があります。「勝手口」は、玄関より自由に出入り出来る感じからもこちらの説の方が説得力があるように私は思いましたが、如何でしょう。

 台所とお勝手の語源や歴史を調べていく中で、「なるほど」と素直に感心したり、「もっと詳しく」と興味を覚えたのが、「ひょっとこ踊り」の「ひょっとこ」の由来についてです。
 台所の中心は「へっつい」の竈(かまど)で、薪を使っての煮炊きでしたから、火吹竹や団扇(うちわ)が常備品で、これを使って火をおこす「火男」の存在も前話の写真解説にもありました。
 「ひょっとこ」は、竈(かまど)で火吹竹をつかって火をおこす「火男」がなまって「ひょっとこ」となり、火を吹く口の形から、あのコッケイなお面ができたというものです。
 以来、「ひょっとこ面」は火の守り神として、台所に飾られていた地域もあるそうですが、火を吹く口元は、誰がやっても写真のようにとがる反面、目は見開きますから、火男の口と目に着眼して、この面を造形した人は、やはり天才だったのでしょう。

 しかし、「女性が自由になれる女の城」でもあったお勝手・台所に火男という男が存在した事実とこの火男が転じて「ひょっとこ」になり「ひょっとこ面」や「ひょっとこ踊り」が笑いの対象として派生したことを考えると、この火おこしを職業とする男性への差別を内包していた可能性や歴史もきちんと文献等で確認してみなくては・・・・・・・・と。

 
 「本当のことは暗くなります」が、六月と云えば太宰治の「桜桃忌」ですね。太宰の箴言「笑はれて笑はれて強くなる」に免じて、この稿を閉じたいと思います。