書は、最後に書いた人の名前や画号を署名して、捺印するのが一般的で、この署名・捺印のことを「落款」と呼んでいますが、正式には「落成款識(らくせい-かんし)」という言葉を略したものだそうで、「落成」は 書画の完成を意味し、「款識」の「款」は陰刻(写真左)、「識」は陽刻(写真右)の銘を示しているそうです。
書画が完成した時、筆者が「落款」するのは、自己が真実を尽くした書いた責任の証明だと云われていますが、落款印の朱が入ることで、作品を引き立たせる役割も大きいことから一般化したようです。中国でも日本でも、古くは落款を入れる習慣はなかったそうですが、江戸中期の良寛の書にも捺印や署名が見られるように江戸時代に活躍した能書家の作品には、だいたい落款が入っていますから、落款が定着した歴史は意外と浅く、日本では江戸時代からのようです。
前話で紹介した杉浦家の秋の軸・新渡戸稲造の書にも新渡戸学園に残っている書にも一切、落款印は入っていません。最近では、所属する書道会派からの師範免許が授与されると画号まで「いただく」習慣まであるやに聞いていますが、新渡戸稲造は「稲造」と本名で署名しています。「日本の書道団体は、所属するそれぞれの書道教室に任せて、弟子集め、金集めのために段位や師範免状を乱発している」と云った批判はよく聞きますが、書道に限らず華道、茶道、舞踊、着付け、囲碁など習い事の世界はみな似たりよったりで、この世界は、ピラミッド構造の集金システムと客観性・統一性のある公正な認定制度がないことが共通しています。これは、「金で学位を売るような制度」と批判されても少子化で受験生や入学希望者が激減している大学で「社会人大学院」制度を発足させ、一般社会人も取り込んで何とか経営を維持していこうとした高等教育機関も同様で、厳しい経営事情もあるのでしょう。
「一億総中流社会」と云われ、時間的、経済的に余裕が見えてきた日本で、一時期、国が音頭を取って、国民は生涯学ぶことで自己実現と充実した人生が送れると「生涯学習」が喧伝されました。二極化現象が指摘される昨今、「生涯学習」も影をひそめた感もしますが、「級」「段」や「師範」といった証書やお墨付きは、学歴同様紙切れになる時代にこそ、本当の実力が評価されることを新渡戸稲造の書は物語っているように思います。