2011年12月21日水曜日

杉浦醫院四方山話―102 『保健文化賞』

 純子さんから「父は、叙勲には全く興味がなく、勲章はいらんとよく言っていましたが、この賞は嬉しかったのか、大切にしていた賞状がありましたから・・・」と、筒に「保健文化賞  厚生省」と書かれた大きな賞状を持参してくれました。健造先生、三郎先生は、数多くの表彰を受けてきましたが、病院にも母屋にも一枚として表彰状が掛けられていなかったのも杉浦家の奥ゆかしさあるいは医者の矜持と云ったものを感じました。客観的な資料ですから、展示コーナーには掲示しましたが・・
 この「保健文化賞」は、衛生環境が悪化していた戦後まもなく、日本の保健衛生の向上に取り組んで顕著な業績を残した人々に感謝と敬意を捧げる賞として、第一生命と厚生省がタイアップして1950年に創設された賞です。その後も毎年実施され、2011年で63回目を迎え、受賞者は天皇・皇后両陛下に拝謁を賜っているという賞です。
 1950年( 昭和25年)創設と云う事は、敗戦の5年後になりますが、三郎先生の表彰状は、昭和26年12月2日付けで、厚生大臣 橋本龍伍とありますから、第二回保健文化賞の受賞だったことが分かります。
「団体や研究機関に贈られる賞なので、田舎の一開業医で、この賞をもらったのは光栄だ」と三郎先生も素直に喜んだそうですが、表彰状の文面も三郎先生の業績を的確にまとめ、その業績に対する評価であるという内容で、「できあいの通り一遍」の文面でないのも好感が持てたのでしょう。
 20年後の昭和46年に勲五等 双光旭日章を授与されましたが、文面はご覧のとおり「上から目線」で・・・作家の故城山三郎さんのエッセイ「勲章について」という名文を思い出します。
 ≪「勲章を授けたい」と役所が言ってくる。受けたくない。断るつもりだ。妻に理由を説明すると、「あなたの言い分だと、もらった方に失礼じゃないの?」と妻が言い、あわてて言いなおす。「読者とおまえと子供たち、それこそおれの勲章だ。それ以上のもの、おれには要らんのだ」 と≫  
75歳だった三郎先生が、勲章に興味がなかったのは、城山三郎氏と同様の思いだったのでしょうか。期せずして同名の「三郎」ですが、「気骨」の医者と作家という共通点も。