2016年9月18日日曜日

杉浦醫院四方山話―482 『話芸』

 杉浦醫院8代目健造先生は、奇病とされていた地方病の原因究明に立ち上がった先駆者ですが、近隣の小沢鹿十郎、吉岡順作両医師と協力して取り組み、そのリーダー的存在だったようですし、村民に推されて村長という舵取りも担ってきました。

また、毎年初夏には自宅で「杉浦醫院ホタル見会」も開催して、県内の名士を招き、若松町の芸者を全員集め盛大な宴の席も設けていました。


純子さんは「祖父は一滴もお酒は飲めませんでしたが、酔ったふりや酔ったような話が上手で、私もよく騙されましたから周りの方は酒好きだと思っていたようです」と話してくれました。


矢張り、人を集めたり指導したり音頭をとったりと云ったオルガナイザーには「話芸」とも云うべき会話術が必要なのは、最近よく耳にする「コミニュケーション能力」の要も「話す力」のようですから、時代には関係ないのでしょうか?


話芸と云えば永六輔、大橋巨泉と云ったラジオ、テレビで「話芸」を売りに活躍した話者の訃報が続き寂しくなりましたが、鬼才・タモリの健在が救いです。未だ若かったタモリの「4ケ国語麻雀」や「7ケ国はとバスガイド」を聞いた時の衝撃は、永六輔や大橋巨泉の「話芸」から「芸」が消えていくようなタモリの才能に驚きましたが、医療の進歩がもたらした高齢社会は、これまで以上に心を潤すエンターテインメントが求められ、なかでも「お笑い」は世代を問わず人人気で、綾小路きみまろに代表される漫談が手っ取り早い笑いとして落語を凌ぐ勢いです。


「漫談」や「落語」は日本の古典芸能ですが、世の中の生活リズムのスピード化や複雑化に「落語」はついていけなくなった感じもします。

旅先に向かうバスの中は、聞く人は聞く、飲む人は飲む、話す人は話すと云う散漫な空間になり、落語は成り立たない話芸となるのに対し漫談は直接的なネタで笑わせ、聞かせる攻撃性がウリなのでしょう。そういう意味では、綾小路きみまろの話芸も時代をつかんだ話芸と云えましょう。


そんな訳で、当館の2階和室で「落語」をじっくり語り、しっかり聴く機会がスタートしました。

同時に、落語と漫談の違いも味わったり、都々逸(どどいつ)などの俗曲や端唄、新内節など三味線の弾き唄と云った寄席音曲の「粋曲」も愉しめる教室です。

語り手と聞き手で一緒に寄席ムードを演出していくのには最適な空間でもありますから、次回以降3回の参加希望者は、当ホームページ「ニュース&お知らせ」コーナーをご参照のうえ、お早めにお申し込みください。