2015年10月24日土曜日

杉浦醫院四方山話―448 『大村智博士・故郷』

 大村智博士がノーベル賞受賞決定後、初めて故郷韮崎市神山町の自宅に帰り、地元の方々から祝福を受けていることを今日もマスコミ各社が大きく報じています。(10月18日)

 大村博士は、「韮崎に帰って故郷の自然に包まれ鋭気を養い、東京に戻って研究に取り組む。この繰り返しが今回の受賞に繋がった」と語っているように韮崎と東京を行き来してきた中で、韮崎の自宅を取り囲むように美術館・そば店舗・温泉施設も造り、地元の人々にも喜ばれてきたのでしょう。



 韮崎市内は、大村博士の受賞祝賀ムードで活気づいていますが、これまで韮崎市が誇る偉人は、小林一三氏でした。

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  もう十年位前でしょうか、「小林一三出身の街・韮崎」として、市内の全ての学校に宝塚のシンボル・スミレの花を植樹して、子どもに小林一三の偉業を教え、街をスミレでいっぱいにする「町おこし」を市が始めたと云ったニュースを聞いた記憶があります。

 

 小林一三は、関西を舞台に阪急電鉄や宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝などを次々創業した日本の私鉄経営のモデルを作り上げた実業家として有名ですが、政治家でもありました。

 甲府の中心街にあった「甲宝シネマ」は、戦前、小林一三が私財を投じて甲府市太田町に「甲府宝塚劇場」として開館した老舗映画館でしたから、「宝塚劇場がある甲府」も小林一三のプレゼントだったのですが、 若尾逸平や根津嘉一郎のように東京で成功した甲州財閥に比べ、小林一三の名は甲州人には浸透性には欠ける嫌いもあります。

  

 それは、小林氏の誇張された形容でしょうが「故郷に一度も帰らなかった男」から来ているのかも知れません。

 

 同じ韮崎生まれの小林氏と大村氏ですが、故郷・韮崎へのスタンスは180度違っていたようですから、今回の大村氏のような祝賀行事は、生前の小林氏には無かったのだろうと思います。


 小林氏が1873年(明治6年)、大村氏は、1935年(昭和10年)と生まれた時代は違いますが、同郷で名を成した二人の故郷へのスタンスの違いは、どこから来たのでしょう?



小林氏は韮崎市中心街の商家の生まれ、大村氏は市内を見おろす農家の生まれの違い?

小林氏は幼くして市外の縁者の家で育ったのに対し、大村氏は大学卒業まで韮崎で農業を手伝いながら成長した成育歴の違い?

小林氏は慶應義塾卒、大村氏は山梨大卒と最終学校の違い?

 小林氏は山梨の峡北地区から関西一円へと拡大した商圏での実業世界で、大村氏は化学という学問研究世界でと、思考、活躍の場の違い?


 等々が凡人が思い当たる推測ですが、まあ、凡人同士の場合は、「妻」のスタンスの違いが決定的でしたから、あながち偉人にも共通するのかも知れません。



 杉浦父子のように外で学んだ後は、故郷で全うした人生、大村氏のように故郷を大切に往復する人生、小林氏のように故郷を振り向かない人生と違いますが、共通して「故郷がホオッテおかない」ところに偉業を為した偉人たるゆえんがあるのでしょう。