2015年7月1日水曜日

杉浦醫院四方山話―429『林正高著・寄生虫との百年戦争』3

 林先生と云えば、フィリピンの日本住血吸虫症患者を救う為の「地方病に挑む会」ですから、本書も「私たちは、なぜシスト(日本住血吸虫症)を絶滅しようと、めざすのか?」の理解と協力の為に書かれたもので、この会の設立から活動内容、エピソード、治療研究報告までが集大成されています。



 林先生が、この活動を始めたのは甲府市立病院の勤務医時代からで、日本社会の「同調圧力」は「なぜ甲府の医師が外国に繁に出かけて行かなければいけないのか」と云った批判的な声もある中「中国に6回、フィリピンに45回も通って、シストの研究を両国の医師たちと一緒に行い、この病気の絶滅のために頑張って」きたのは「日本人が成功を収めた医療の技術や経済的な余力を、シスト患者の多い国々に提供することは、今日の国際化社会にあって、当然の義務であり、責任である」と林先生は考えて、信じる道を貫き通した様子が分かります。



 矢張り、志高く「これをやる」と率先垂範する人は、周りの人にも元気や勇気を呼び起こすのでしょう、職場の仲間や心ある医師と共に喜びや感動を共有しながら活動してきた様子が活き活き記されています。

また、志の高さは、林先生のみならず、この本に登場するこの活動を支えた方々のエピソードは、池田清彦氏の新刊「同調圧力にだまされない変わり者が社会を変える」の指摘が、的を得ていることに思い至ります。



 林先生の「地方病に挑む会」の柱は、シストの特効薬プラチカンテルのフィリピンの患者一人分の治療代金が日本円にして700円だったことから、「700円募金」による患者救済活動で、集まった募金の全てを特効薬購入費用に充てると云う公明正大な使途が会の原則でした。

要は、人件費や事務費と云った支出は一切自腹、ボランティアに徹した組織・活動原則に先生の目的と意志があるのでしょう。



 林先生と会の活動原則等が、読売新聞全国版やNHK教育テレビ等で紹介されると全国から多くの方々の善意が寄せられたそうですが、特筆すべき、静岡県にお住いの90歳・松平初太郎氏のエピソードには唸りました。

 

 松平氏は、「旅支度は軽いに越したことはない、それは冥土への旅も同じ」と、3千万円の寄贈を市立病院に林先生を訪ね、申し出たそうです。

 松平氏は、これまでも募金活動に応じてきましたが、会計報告を見ると、事務費、会議費、人件費などが60%も占めていて落胆していたが、この会はそれらは自腹で、患者救済に全てが使われることを知ったので、そういう活動にこそ寄付したいと、主宰者を確かめる意味もあって、自ら自動車を運転して来甲されたそうです。



 林先生は、3千万円の寄付金額に驚き、「当会の活動のキャッチフレーズが700円募金であることから辞退申し上げた。当会の活動内容を示し、フィリッピンの日虫症の状況を説明した結果、特効薬1万人分、切りのよいところで1千万円をだしてくださることになった。」そうです。

 

 そして、松平氏から挑む会への寄付金は、これを一回目とし、今後は必要な医療機器などを現物提供することで話し合いがまとまったそうです。

現地の日虫症研究所付属病院に松平氏から寄贈された二台の車両と職員の記念写真も載っていますから、松平氏の現金以外の寄付が、林先生達に必要な医療の「後方支援」になったのでしょう。


 林先生のフィリピンの患者救済と絶滅への志は、松平氏に限らず、作家の大岡昇平氏が発起人に名を連ね、募金者の第一号にもなったことなどそれぞれのポジションで具体的な協力、支援の輪が大きく広がって、確かな歩みになったことが分かります。



 本書は、「寄生虫との百年戦争」と銘打たれていますが、林先生の人生哲学書でもあることを読後の爽快感が教えてくれました。