杉浦醫院四方山話―400 『節目の400話に「テロリストの悲しき心」』
若尾久氏の講演に続き、大塚先生のピアカウンセリングを紹介しましたが、お二人に共通する意識と姿勢は、弱い立場の人の「死」を看過できず、どうしたら「命」を守ることが出来るかと自らに問うた結果のように思います。若尾氏は子どもの、大塚氏は心を病んだ人の「命」をどうやって守っていくかをそれぞれの手法で実践しているのでしょう。
この「命」の問題は、軽々と話題には出来ない多面性を内包していますが、その問題に正面から向き合い本気になることを「ダサイ」「クライ」と退ける風潮があることを戒めた色川大吉氏のエッセイは大変インパクトがあり、私にはテロ事件の報に接する度に思い起こされますから、あらためて全文を読み直してみました。
10年以上前の2004年に、このままだと「日本も国際テロの標的に必ずなる」と、鋭く指摘した歴史家の考察は、昨日書いたかのように全く色褪せていないことに驚くと共に「命」についても特攻隊を指揮した体験を踏まえ「テロリスト」の悲しみにも眼差しが及ぶ深い洞察ですから、当ブログ400話の節目に全文を転載させていただき、「いのち」を重層的にとらえる一助にしたいと思います。
尚、色川先生は、大学退官後は山梨の八ヶ岳南麓に暮らし、執筆と講演活動を行っていますから、本町でも2003年(平成15年)に「タイムリー講座」の講師として、「現代史を読む連続講座・全7回」を担当いただきました。
また、色川先生は、大正14年7月生まれですから、大正15年3月生まれの純子さんとは同級生になります。
混乱の戦前、戦中、戦後の生き証人として、お二人の対談も是非実現したいと思っています。
色川大吉 : 「テロリストの悲しき心」
未来を生きる君へ (2004年6月13日朝日新聞統合版より)
石川啄木の詩にこうある。
「われ知るテロリストの悲しき心を」。
天皇暗殺をくわだてたとして処刑された12人への同情だが、テロの犠牲になった人びとの悲哀と絶望も限りなく深い。
腹に爆弾を巻きつけてエルサレムで自爆したパレスチナの女子高生の心も悲しい。
私は日米戦敗戦の年、特攻隊員を送りだす基地の島にいた。
命令を受け30人の部下から12人を選んだ。
一度出たら帰れない自爆攻撃だ。
みな17~18歳だった。
私も大学在中の20歳。
愛していた者ばかりだった。
悲しみと悔恨は今も消えない。
米軍はこの者たちを、神なる天皇のために自殺志願した狂った日本人と恐怖し、嘲(あざけ)った。
また特攻隊と、9・11のアルカイダによる自爆突入機を同一視した。
二つとも全くの誤解だ。
私たちは天皇のために死のうとしたのではない。
滅亡に瀕(ひん)した故郷と国民のためだった。
特攻はテロではない。
国と国の戦争行為で、相手は米軍に限られていた。
だが、そこまで追いつめられて若者が死ぬことはともに悲しい。
自爆攻撃の犠牲になって、その数倍の人たちが死ぬことはもっと痛ましい。
そんな事態を招いたのは、ヒラの兵士や庶民ではなく、上にいる者たちが作りだした憎しみの関係だ。
その不条理を解決する行為が政治ならば、その政治にダサイ、汚いからと注文もつけず、顔をそむけて、危険な方向に傾いてゆくこの国と世界を傍観していて良いだろうか。
21世紀はテロとの戦争の世紀だという。
米英日ロのような大国の政治家が口をそろえていう。
アフリカやアジアや南米の大多数の貧しい民衆から見たらどうだろう。
テロの温床を自分でこしらえておきながら、じぶんの影に怯(おび)える尊大なやつら、自業自得と映るだろう。
第2次世界大戦から半世紀余、日本は一人も殺さず殺されず、第九条を盾に平和な暮らしを維持してきた。
それがこの2、3年、急に変わりつつある。
黙っていたら、戦争をする国、国際テロの標的なる国に必ずなる。
戦前、戦中、戦後を生きてきた歴史家として私はそう思う。
この国にも自爆死の悲劇がおこる危険が迫っている。
止められるのは君たちだけだ。
「君、知るやテロリストの悲しき心を」