2013年11月7日木曜日

 杉浦醫院四方山話―288 『台風被害と修復』

 10月の波状攻撃のような台風で、母屋屋敷蔵の壁や軒(正確には「けらば」と云うそうです)が、写真のように風圧なのか水によるのか定かではありませんが崩れ落ちる被害に遭いました。       
木造建築でも土蔵造りとか蔵造りと呼ばれているこの日本建築は、鉄砲の伝来で、城郭に防火・防弾のために30cm以上の分厚い漆喰大壁が用いられたことから、江戸時代以降は、城郭で発展した技術が生かされ、火災や盗難防止のために倉庫として裕福さの象徴ともなって盛んに建てらました。                                       漆喰の外壁が落ちて隠れていた軒の構造が露わになりましたが、あらためて竹と縄で編まれた土壁の芯を見ると手の込んだ技術であることに感心します。現代では、土壁に変わる断熱材もいろいろ開発されましたが、これも土壁の手間が工期の長さとなり建築費のコストを押し上げたからでしょう。
 
伝統的な木造工法
a= b=貫 c= d=床梁 e=束石(つかいし)
 土壁はいくつもの工程と職人さんの手間によって作られてきました。「木舞(コマイ)」とよばれる、丸竹と平竹を組み合わせた土壁の芯になるものを、右図cの柱とbの貫(ヌキ)にワラ紐を使い編みつけていきます。

この工程が終わると木舞が筋違になり、一つ一つの壁が固定され、がっしりと力強くなります。その後ワラを細かく刻んで混ぜこみ発酵させた土を丹念に木舞に塗りつけていきます、これは荒壁といい壁の芯になります。この後しばらく乾かし、荒壁の上に荒壁よりさらに細かいワラを練りこみ塗りつける中塗りをします。この時点で壁厚は約10センチほどになり、最終的にこの表面に珪藻土や漆喰を塗り、土壁が出来上がるのですが、長年にわたる使用に耐えるよう柱に溝をいれ、ここに土壁をさしこみ壁の端が柱から離れるのを防ぐ、といった細かい工程も必要になるそうです。 
 
 杉浦家の建造物は、土蔵造りの土蔵・納屋・屋敷蔵に限らず、母屋・病院・温室も全て土壁ですから、それぞれが、明治・大正・昭和初期の建物ですが、一世紀を経てもしっかり持ちこたえているのは土壁だからでしょう。全くの素人としては、現代建築しか知らない子どもたちにも上記の土壁の工程と職人技術が目の当たりにできるよう、補修工事も軒と壁の一部は、中の構造が分かるよう透明な素材で修復出来ないものかと思いますが・・・可能なのでしょうか?