2013年11月2日土曜日

  杉浦醫院四方山話―287 『鬼瓦』

 納屋の改修工事が始まり、昨日は屋根瓦の撤去作業が終日続きました。土蔵の改修では、瓦を一枚一枚外して水洗いし、野地板を張替え土盛りし、外した瓦を再度屋根に載せましたが、納屋の瓦は痛みが激しく、再利用しても先行きもたないということで、新しい瓦を載せることになりました。

 現代建築では、屋根に瓦を使うことも少なくなり、棟の末端に鬼瓦を付けることもありませんが、瓦屋根では、大小やデザインなど様々ですが雨の侵入を防ぐ役割も兼ねた鬼瓦が付いています。いわゆる魔除(まよ)けとしてつけられてきたものですから、怖い鬼の顔を彫刻したことから、「鬼瓦」と呼ばれてきましたが、時代と共に鬼面の瓦を付けると近隣の家を睨みつけているようで・・・と敬遠され、家紋や苗字を入れたものから福槌や宝珠など富を願ったものまで鬼面でない鬼瓦へと変遷してきました。
 
 旧中巨摩郡若草町加賀美地区は、良質の粘土の産地で、豊富な湧き水や燃料を採取する山が近くにあることから、古くから瓦産業が発達し、現在も甲州鬼面瓦と云う工芸品が、家内安全、無病息災、商売繁盛のお守りとして、屋根材と云うより装飾用贈答品として特産品になっています。

日本瓦は日本の気候に適応し、地震や台風に強い特徴や1,000度以上で焼成する粘土瓦は、不燃材としても優れ、耐熱性や遮音性も高いことから現代でも「屋根は瓦でなければ」と云う方も多いようです。


今回の改修工事で、瓦は新しくなりますが、由緒ある鬼瓦は活かすことになりましたので、慎重に外されました。
納屋の西先端の鬼瓦は、杉浦家の家紋「丸に鷹の羽」が彫られています。
 
この「鷹の羽」紋は、武士が多く用いたとされる紋ですから、江戸時代から苗字帯刀を許された医者の杉浦家の家紋も武士に準じた紋だったのでしょうか?はたまた、現在も杉浦姓が多いのは愛知県ですが、武田信玄が三河の国へ遠征した際、当地の名医を甲州に連れて戻ったのが杉浦家のルーツと云った話も聞きましたからその辺も関係するでしょうか?三郎先生の口癖は「昔のことを詮索するより先のこと」で、系図や来歴などには全く興味が無かったそうですから純子さんも、「ウチなんか田舎開業医の一平民でしょう」と淡々としています。     土蔵に隣り合わせた納屋の東端の鬼瓦には、たとえ土蔵が焼けても納屋には延焼しないようにという呪いで、写真のように「水」の文字が彫られています。
二つの鬼瓦は、単に真ん中が「鷹の羽」と「水」の違いだけでなく、左右の脚の部分のデザインも微妙に違い、それぞれが特注で造られたことを物語っています。
 
当館にお越しの折には、母屋をはじめそれぞれの建造物に鬼瓦など歴史的意匠や用途に応じた特徴も随所に見られますので、それらも是非お楽しみください。