2013年1月12日土曜日

杉浦醫院四方山話―210 『田植え節句』


 前話で、1月11日の「鏡開き」「蔵開き」にまつわる杉浦家の「庫開き福引き」と西条新田地区の昭和初期の正月行事を紹介したところ、昭和町河東中島のおいっつき(甲州弁でしょうね。数代にわたりその地を在所にしている人のこと。ちなみに対語でしょうか、新たな転入者を「来たりもん」と呼んで区別?差別?した、された話も聞きますが・・・)山本哲氏(64歳)から、「田植え節句」について、さっそく電話をいただきました。

「俺が子どものころの記憶だけど1月11日の鏡開きの行事として、商家は蔵開きだけど、この辺の農家では、田植え節句と云うのがあったのを思い出した」
「11日の朝、お供えの鏡餅を降ろし、しめ飾りと松もはがして、一緒に酒と米を持って、田んぼに行くんだけどその田んぼは、田植えの苗をつくる田んぼだった」
「田んぼの真ん中に畝(うね)をさくって(溝を切るように高くして)、中心に鏡餅としめ飾りを供え、両脇に松を刺して、そこに米と酒をまいて、神事の二礼二拍手一礼をした」
「今の昭和では、見かけないから何時頃までやっていたのか、俺より年上のおいっつきの人に聞いてみると分かると思うよ」と。         
 小学生の頃の経験を山本さんは、よく細かく覚えているなあーと感心しながら聞きましたが、電話の後、ネットで「田植え節句」を検索してみましたら、山梨県北杜市の方のホームページ『お百姓日記 ーよめのえにっきー』に写真入りの「お田植え節句」があり、山本さんの情報が、明野では続いていることも分かりました。
 山梨県に暮らす二世代農家の長男のお嫁さんが、毎日変化する畑や地域(明野町)の状況や家族の話などを2010年から綴っていますから、当ブログとほぼ重なります。
 自然な感情と思いが、気負いのない文章から伝わるとても質の高いブログに惹き込まれましたが、快くコピー許可もいただきましたので「お田植え節句」の前半部分と写真を貼り付けて、ご紹介させていただきます。

 昨日11日は鏡開き。おろした鏡餅を割って食べると一年健康でいられると言われていますが、このあたりでは「お田植え節句」という小さな行事があります。田んぼで行う小さなお供え(?)です。お正月飾りの松の枝を数本持ってきて、苗を植えるように乾いた田んぼの土にさしていきます。その前にお米と、割った鏡餅をお供えして、今年のお米の豊作をお願いします。まわりの田んぼを見渡せば、同じように小さな松がささっているのが見えます。この辺りで代々暮らしてきた人たちは、節句やお祭りなど、節目節目の行事を大切にしている印象を受けます。農家という仕事が、出来の大部分を天候に左右されたりして、自分の力ではどうにもならなく祈るほかない、というところによるからなのかな、と思います。それでも近年、どんどん簡略化されているそうです。以前は毎年順番に一件の家に集まって食事出したりしていたお祭りなんかも、今はお札くばるだけになったりとか。絶やしてはならない! と声高に言うつもりはまったくないのですが、何かが「無くなっていく」というのは単純に心細くさみしい気持ちになります。