前話で、1月11日の「鏡開き」「蔵開き」にまつわる杉浦家の「庫開き福引き」と西条新田地区の昭和初期の正月行事を紹介したところ、昭和町河東中島のおいっつき(甲州弁でしょうね。数代にわたりその地を在所にしている人のこと。ちなみに対語でしょうか、新たな転入者を「来たりもん」と呼んで区別?差別?した、された話も聞きますが・・・)山本哲氏(64歳)から、「田植え節句」について、さっそく電話をいただきました。
「俺が子どものころの記憶だけど1月11日の鏡開きの行事として、商家は蔵開きだけど、この辺の農家では、田植え節句と云うのがあったのを思い出した」
「11日の朝、お供えの鏡餅を降ろし、しめ飾りと松もはがして、一緒に酒と米を持って、田んぼに行くんだけどその田んぼは、田植えの苗をつくる田んぼだった」
「田んぼの真ん中に畝(うね)をさくって(溝を切るように高くして)、中心に鏡餅としめ飾りを供え、両脇に松を刺して、そこに米と酒をまいて、神事の二礼二拍手一礼をした」
「今の昭和では、見かけないから何時頃までやっていたのか、俺より年上のおいっつきの人に聞いてみると分かると思うよ」と。
小学生の頃の経験を山本さんは、よく細かく覚えているなあーと感心しながら聞きましたが、電話の後、ネットで「田植え節句」を検索してみましたら、山梨県北杜市の方のホームページ『お百姓日記 ーよめのえにっきー』に写真入りの「お田植え節句」があり、山本さんの情報が、明野では続いていることも分かりました。
山梨県に暮らす二世代農家の長男のお嫁さんが、毎日変化する畑や地域(明野町)の状況や家族の話などを2010年から綴っていますから、当ブログとほぼ重なります。
自然な感情と思いが、気負いのない文章から伝わるとても質の高いブログに惹き込まれましたが、快くコピー許可もいただきましたので「お田植え節句」の前半部分と写真を貼り付けて、ご紹介させていただきます。