明治から大正にかけて、純子さんの母・綾子さんが師事した「小笠原流十八世家元・日野節斎」の「小笠原流躾方相傳ケ条」には、「弓禮」「軍禮」「馬法禮」「躾禮」を小笠原流四禮と定め、「此の総ケ条は五百四十ケ条とす」とあります。これは、現在の作法や茶道に特化した「小笠原流」とは一線を画す内容で、四禮全ての具体的項目は540箇条とありますから、綾子どのに宛てた相傳書の内容は、四禮のうちの「躾禮」のものと思われます。
右上の写真は、「小笠原本流書院押板真飾」と表された相伝書の一部です。
右上の写真は、「小笠原本流書院押板真飾」と表された相伝書の一部です。
書院造は、武家住宅の建物全体の様式の総称ですが、具体的には建物の内部を引き戸の建具で幾つかに仕切り、床には畳を敷いて、天井を張り、客を迎え入れるところには押板と呼ばれた床の間や違い棚などを備えた建築様式のことです。その押板(床の間)への小笠原流の真の飾り方を図解したものですが、硯を中心に置いた場合から始まって香呂や盆石から掛け軸に至るまで細い指示が、約10mの巻物に書かれています。
右下の写真は、杉浦家母家入口の座敷です。上の図にも硯の前には硯屏(けんびょう)という小さな衝立を置くよう記されていますが、大きな鶴の絵の衝立を硯屏(けんびょう)に硯や香呂などを飾れる机が置かれ、右に花台と花瓶の配置は、「小笠原流書院押板真飾」にある図解のとおりです。この10畳間には床の間はありませんが、このような配置を「押板」とし、この部屋の床の間であることを示しています。 現在でも宴席などで「上座(かみざ)」「下座(しもざ)」と云った言葉を耳にしますが、この押板や床の間の位置を基準に上下が決まってくることから、武士の礼法である小笠原流の書院には必要不可欠な「押板」であることから、その飾り方も10mに及ぶ図解で詳しく伝えているのでしょう。今回、書院の巻をご紹介しましたが、家元から綾子さんに伝えられた小笠原流の相伝書は、他にも庭園や料理、着物、百人一首等々、全て図や絵も含め墨での直筆で、数メートルにも及びますから、大正時代初期、一巻如何程だったのか…