2012年2月8日水曜日

杉浦醫院四方山話―114 『辺境日本論・余話』

    1月30日(月)に東京地裁は「主文。原告の請求は棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」と、たった数秒の判決文で、原告・土肥信夫氏の完全敗訴を言い渡しました。土肥氏は、その場で控訴を決めましたが、翌々日の朝日新聞社説でも「がっかりする判決が東京地裁で言い渡された。」と裁判経過を詳細に追ってきた記者の公平、率直な見解が論じられていました。
 土肥氏は、東京大学卒業後に入社した大手商社で談合に異議を唱え退職、通信教育で教員免許を取得し、町田市の小学校で障害児と健常児の統合教育に情熱を傾ける教員として再スタートしたように極めて正義感の強い人で、三鷹高校校長となっても都教委による不当な干渉を黙って見過ごすことができませんでした。特に、2004年10月の園遊会で、当時東京都教育委員であった山梨県出身の将棋棋士・米長邦雄氏が、国旗・国歌問題について天皇から「強制はしないでください」と諌められたにもかかわらず、都立高校に対して強制を強めました。この米長氏を批判した土肥氏は、密告されて都教委から3回も呼び出され「米長氏の批判をするな」と強く指導されたのでした。退職後の再任用試験で、都教委は、土肥氏にオール「C」の評価で報復し、受験者790人中790番で不採用としました。これを受けて、土肥氏は、都教委が業績評価における公正評価義務違反を犯していると裁判に訴えたのでした。
 内田樹著「日本辺境論」でも日の丸と君が代に言及し、「法律で決まっているのだから、という思考停止議論」も日本人の辺境性だと看破していました。戦後憲法は、アメリカの押しつけだと自主憲法制定を主張する一方で、欧米にある国歌というものを日本でも作らなければ・・・と、「きょろきょろ」して作った君が代も最初に曲をつけたのはイギリス人ジョン・ウイリアムズ・フェントンで、それが宮内庁の雅楽の伶人によって改作され、さらにドイツ人のフランツ・エッケルトがアレンジしたものだという史実には知らんふりを決め込み、10数年前、やっと国歌と定められた君が代をずっと昔から日本の国歌だと・・思考停止してはばからない日本人の辺境性。
 日の丸と君が代を国旗・国歌と法律で定めようという動きは20数年前から着実に始まり、消耗感と法律で決まるのだからと「思考停止」で教職を去った私には、土肥氏の校長就任も驚きでしたが、「学校」と「教育」を真剣に思考した土肥氏の校長職のありように「信念の知」の真価を教示いただきました。「7パーセントの【自覚した知】が、辺境日本を救う」と云う内田氏のメッセージも土肥氏へのエールとして読むのが正解でしょう。