2012年2月10日金曜日

杉浦醫院四方山話―115 『紫煙文化-1』

    還暦も過ぎて「あと何回の晩酌?」とカウントダウンに入ると急に里心つくのが凡人の習性でしょうか?同級生と群れる機会が多くなりました。先晩、カラオケに流れた折「閉めはみんなでザ・タイガース花の首飾りだ」とさっきまで「いい加減に煙草はヤメろよ」と正論を吐いていた健康法師が嬉々として音頭をとりました。「名曲だよなぁー。作曲はモーツアルトか?」とフルと「バカか。すぎやまこういちの代表作だ!すぎやまこういち知らないの?」「おー、すぎやまこういちか。流石だねぇー」「すぎやまこういちはあの頃から垢ぬけていて俺は好きだったんだ」と。「まだ生きてるの?」「80過ぎてるけど相変わらずダンディーだ」「そうか、いい歳を重ねているんだな」「俺たちもああいう大人のジジイを目指さないとな」と得意満面な健康法師。そこで「もしもし、すぎやまこういちの呼びかけで、俺は喫煙文化研究会に入ったんだ。日本を覆う喫煙バッシング、禁煙ファシズムに歯止めをかけることに余生をかけると云う、すぎやまこういちは、ホント大人だよな」と返すと「嘘だろう。お前は昔から勝手なつくり話でケンカを売るからな」と。思えば昔から合わない男だったなあとスタコラサッサしましたが、どうもケンコウ法師やセイロン大使には、この手の人間が多くて「困っちゃうなー」です。
 「バカの壁」の養老先生は、「始めて禁煙運動を命じたのはヒットラーで、健康崇拝は禁煙から始まって精神患者の断種、障害者の安楽死へとエスカレートし、最後にユダヤ人撲滅にまで至ったという歴史に学ぶとこの国が制定した「健康増進法」も大きなお世話では済まされない「危険性」がある」と事あるごとに指摘しています。
そう言えば、甲府駅北口に出来る新山梨県立図書館の館長に内定した作家の阿刀田高氏は、「喫煙は紛れもなく一つの文化である。文化の営みは、どこかに必ず毒のようなものを含んでいる。それぞれの主張や好みが、権力や人気取りや多数の力により不当に貶められることはよくある。文学の歴史はつねにこの憂きめにさらされて来たから、自分はタバコを吸わないが、近年の禁煙運動にはくみしない」と。初代館長にホントの文化人を招聘出来ることを喜びましたが、原理主義者の標的にされ、潰されなければ・・と、心配です。
 「喫煙文化を守り、美しい分煙社会の実現を!」と謳う「喫煙文化研究会」がWebで「愛煙家通信」を出しています。順天堂大学医学部教授・奥村康氏の「不良長寿のすすめ」など決してマスコミでは報じられないホントの話が満載で、間違いなく禁煙サイトのステレオタイプな話より、私にはずっと面白く、生きていることのなつかしさが実感でき、免疫力も上がります。「これも父の愛煙道具でした」と純子さんが持参下さった新たな煙草ケースも文化の香り漂う見事な細工、意匠で、煙草文化を研究し、守ろうと云う喫煙文化研究会を先導する椙山浩一氏は、目指すべきジジイ像として異存ありません。