2011年11月18日金曜日

杉浦醫院四方山話―93 『プレ・オープン1周年-3』

 母屋と医院を結ぶ廊下北側は、右の写真のように杉浦家の寝具類が詰まった押入れでした。押入れ上段には、来客用の蒲団や毛布が何組もありましたが、「昔のように泊りがけの客もありませんので、これを機に知り合いの施設に寄贈しようと思います」と純子さんが手際よく手配して空けてくれました。保存整備活用検討委員会では、昭和4年から昭和52年まで医院として使われていた内部が、そのまま残っている貴重な建物だから、出来るだけ手を入れないで、当時のままを基本に保存していくことが確認されていましたが、この押入れは、展示コーナーとして活用する旨を諮り了承され、整備した現在が下の写真です。
 ここに杉浦健造先生と三郎先生の年譜やお二人と杉浦医院にまつわる資料を展示し、下段は、展示交換用の資料の収納庫にしました。下の収納庫の襖も元の押入れの襖を加工して使うことにし、漆塗りの黒い建具や取っ手は元のもので、襖紙だけが新しくなっています。
 杉浦医院には、専門書や医学雑誌なども多数残っていますから、医学関係者には貴重な資料として展示すべきとなることでしょうが、限られた展示スペースに何を展示するかは悩む所です。
資料館や博物館の始まりは、貴族や資産家が収集した骨董品や美術品を並べたり、学者が標本として収集した自然物を分類して見せたように「ただの見せ物」が原点だったようです。18世紀に入って、現在の博物館の基となる大英博物館が誕生し、日本にも明治維新の文明開化で、博物館や美術館が誕生してきました。その中で、ただ物を見せるだけから情報伝達としての「展示」へと変化してきましたが、要は「展示物」で、どんな「物語り」が伝えられるかではないでしょうか。「ほぼ無限な画像・動画・文字情報を扱えるインターネットがあれば、博物館や美術館といった展示施設は要らないのでは・・」と云った議論もある現在、一般的な展示の在り方を踏襲するだけでなく、これからの展示の在り方やホームページを使った展示や発信など施設独自の展示を考えていくことが求められているのでしょう。 まあ、この「四方山話」もその具体的試みの一つと考えて、書いてはいるのですが・・・