杉浦醫院四方山話―464 林正高著『日本住血吸虫症』
当ブログで何度か紹介させていただいてきました林正高先生から、最新刊の著書「日本住血吸虫症」をご寄贈いただきました。
奥付には、「2015年12月25日 初版発行」とありますから、発行されて間もない本ですが、東京医科歯科大学の太田伸生教授の「推薦の言葉」に続き、林先生が「自序」を記しています。その最後に「付記」があり、次の文章が目に留まりました。
「本冊子が早期に出版されましたのは岐阜大学名誉教授高橋優三先生のおかげです。著者が本原稿を脱稿した8月中旬に突然、心肺停止状態となり、その原因が心筋梗塞と大動脈弁狭窄でした。9月末に弁置換術と冠動脈のバイパス術を受け約52日間は安静状態で過ごしました。その間、本冊子は高橋先生お一人により編集作業が進められました。ここに高橋先生に深甚の謝辞を申し上げます。」 (平成27年10月 甲府にて 林正高)
林先生から当館宛に、「無事生還しました」と書き添えられた年賀状もいただき、賀状の印刷文面と「付記」で、昨年8月以降の先生の闘病生活の詳細を知ることが出来ました。
往年の日活の男優を彷彿させるダンディーな林先生は、足取り軽く姿勢もよく話も端的で、私には「かくありたい」と憧れの存在でしたからびっくりしましたが、ご自分でも「医者の不養生と言うのでしょうか」と読み手に気を使わせない洒脱な病状報告に先生のお人柄が滲んでいました。
そんな訳で、先生の前著「寄生虫との百年戦争」が、毎日新聞社の発行であることにも因るのか「読み物」として、先生の文才やセンスを窺えたのに対し本書は、医者・医学者林正高先生のライフワークの集大成として、後継者への医学資料としての色彩が濃い内容であることが読み取れます。
そうは云っても例えば、明治37年、岡山医専の桂田富士朗教授が三神三朗医師宅で猫の門脈内に棲息していた世界初の新種の吸虫を発見した記述には「その種を桂田吸虫とせず、日本住血吸虫と命名し、本症を日虫症と命名した。」のように林先生の価値観?も感じ取れる文章も垣間見られます。
昨年から林先生には貴重な文献や著作等々をご寄贈いただき、2階座学スペースのテーブル上が、先生からの資料でグッとアカデミックになりました。大病を患われた先生ですが、「超高齢にもかかわらず副症状の合併もなく過ぎました」と術後の経過は良いようですから、この場を借りての御礼とお見舞いで恐縮ですが、今年もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。