「甲州の地は、日本のオピニオンリーダーを輩出してきた風土である」と先に書きましたが、甲州が育んだ第55代内閣総理大臣・石橋湛山の経済評論家、政治家としての姿勢は、政党を問わず現在も事あるごとに引き合いに出される見事なものでした。日本が戦争へと傾斜していった昭和初期にあって、ひとり敢然と軍部を批判し続けた石橋湛山の壮烈な言論活動は、甲府市にある「山梨平和ミュージアム」の「偉大な言論人・石橋湛山コーナー」で確認することが出来ます。徹底した平和主義とリベラルで強靭な個人主義に裏打ちされた言論活動と政治姿勢は、色褪せるどころか現代にこそ必要なオピニオンリーダーであることを実感させてくれます。
旧御坂町出身の歴史家・網野善彦も『ゆがんだ歴史観が侵略戦争を起こす』と繰り返し警鐘を鳴らし『明治以降の日本政府が選択した道は、「日本人」を頭から「単一民族」と見るまったく誤った自己認識によって、日本人を破滅的な戦争に導き、アジアの人民に多大な犠牲を強いた最悪に近い道であった』と通説とされてきた日本史を端から見直し、「網野史学」を確立したオピニオンリーダーでした。山梨でも山梨県立博物館基本構想委員長として、山に閉ざされた貧しい山梨県の通説を180度転換する史実を示し、その歴史光景を模型で再現するジオラマ展示の導入を図るなど山梨県の歴史を生き生き再現する展示改革を指導しました。甲斐源氏や武田氏中心の山梨県史にも異論を唱え、古代豪族の三枝氏や郡内地方で勢力を持った加藤氏を例に、武田氏以外の氏族研究の必要性や鎌倉時代中期には二階堂氏が甲斐守護であった可能性も示唆して、武田氏評価の再検討も提唱しましたが・・・・
「貧しい甲州は、ヤクザとアナーキストと商人しか生まない土地だ」と甲州のマイナスイメージを逆手にとった、反骨のルポライター竹中労は、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作、話題作を世に送り出した甲府出身のオピニオンリーダーでした。特に『週刊明星』に連載した「書かれざる美空ひばり」で「ひばりの歌声は差別の土壌から生まれて下層社会に共鳴の音波を広げた…中略…ひばりが下層社会の出身であると書くことは『差別文書』であるのか」と書き、部落解放同盟から糾弾されましたが、竹中は激怒して部落解放同盟に血闘を申し込んだという、あらゆる権力、権威に噛みつく反骨の人でした。父は画家の竹中英太郎で、妹の金子紫が「竹中英太郎記念館」を湯村山の麓に開設しています。絶版で入手不可能な著書が多い兄「労さん」のことも静かな紫館長が、やさしく話してくれますので、その兄妹のギャップも面白く、英太郎の絵画と「労さん」で2倍楽しめる記念館です。