2011年2月16日水曜日

杉浦醫院四方山話―26 『宮入慶之助記念館』

ミヤイリガイ
 地方病=日本住血吸虫症は、日本住血吸虫という名前の寄生虫が、門脈に寄生することによって起こりました。この寄生虫は、孵化すると中間宿主であるミヤイリガイという小巻貝に入り、セルカリアに成長して、水田や水路、河川で、人間や牛、馬、犬等の終宿主に寄生し、終宿主の命まで奪う病でした。世界で唯一日本が、この悲惨な風土病を克服出来たのは、中間宿主であるミヤイリガイの発見により、この貝を行政と住民が一体になって絶滅させた結果です。このミヤイリガイを発見した、宮入慶之助博士の記念館が、慶之助氏の生地・長野市篠ノ井にあります。
先日、この記念館の宮入源太郎館長夫妻とご家族が、杉浦醫院に来館されました。宮入源太郎館長は、慶之助博士の兄の孫にあたる方ですが、9年前に当時の社会教育委員の県外研修会で訪問した時は、個人で記念館を開設し運営していました。現在は、NPO化したそうですが、行政の支援もありませんので、館長の使命感、情熱と賛助会員の支援で運営している大変志の高い記念館です。この記念館のすぐ南には、典厩寺があります。川中島の合戦で、27歳の若さで討ち死にした、信玄の弟武田典厩信繁公の菩提を弔っているお寺です。信玄と謙信が戦った、川中島合戦場がある八幡原史跡公園と長野市立博物館もすぐ近くです。さらに、車なら10分ほどで、真田10万石の城下町・松代があります。この松代地区には、武田信玄が築いた海津城(松代城)、真田宝物館・真田邸、宮入慶之助氏が通学した旧松代文武学校や、佐久間象山を祀った象山神社、新しいところでは、池田満寿夫美術館もあります。善光寺も3,40分ですから、長野市方面に行く機会には、是非立ち寄っていただきたい記念館です。
また、地方病資料館でもある「杉浦醫院」を開設する昭和町の各種委員会、団体等の研修会には、この「宮入記念館」を起点にした研修コースを検討してみてはいかがでしょう。お隣の長野県には、地方病発症者いなかったことから、地元ではこの宮入慶之助氏と氏の業績もあまり認知されておらず、行政や博物館でも取り上げられる機会も少ないようです。山梨県内で八割の発症者を数えた日本住血吸虫症=地方病の終息に決定的な役割を果たした宮入慶之助氏の記念館を訪れ、学ぶことは、孤高の精神で運営する宮入源太郎氏への何よりの「塩」になると宮入一家の訪問と懇談の中で痛感しました。当館でも「宮入慶之助記念館」紹介コーナーを設け、来館者にその存在を周知するなど連携を図っていきます。