日本兵は飢えとマラリアに冒されつつ、フィリピン人ゲリラ部隊と米軍の火炎放射器に追われ、次々に命を落としていったそうですが、レイテ戦で米軍が使った武器が「火炎放射器」だったことは、私にとってはミヤイリガイ殺貝活動の中で活躍したのが火炎放射器でしたから意外でもありました。しかし、あまり知られていませんが、いわゆるゲリラ戦では鉄砲より火炎放射器の方が有効だったことからベトナム戦争から現代にまで引き継がれているそうです。
ベトナム戦争でもアメリカ軍は火炎放射器を最大限使用したそうです |
レイテ島では指揮系列もなくなった日本兵は、数人もしくは個人で塹壕や洞穴に身を隠してのゲリラ戦を余儀なくされましたから、アメリカ軍は暗い穴の中に火炎放射器で燃える液体を吹き込み閉所にいる日本兵を窒息死や焼死に追い込む作戦を採ったのでしょう。
同時に火炎放射器では、着火しない状態で燃料を敵兵舎や装甲車両に噴射し、燃料まみれになったところで着火してより被害を拡大することも出来たそうですし、着火されなくても人体に燃料が付着すると強烈な痛みと炎症を引き起こしたそうですから、戦争や兵器が科学技術を前に進めた好例でもありましょう。
このように一方的なレイテ戦でしたが、アメリカ兵の間にも皮膚のかゆみや発熱、下痢といった症状の奇病が広がり、次第に肝臓や脾臓がはれ、けいれんや脳梗塞を起こす者まで出ましたが、アメリカには存在しない病気だったことからアメリカ軍も苦慮して、この奇病の原因に乗り出しました。アメリカ兵1700人以上が感染したアメリカにとっての奇病は、日本では解明済みだった日本住血吸虫症(「地方病」)でした。
杉浦三郎博士が診察する末期の日本住血吸虫の症状