2018年6月11日月曜日

杉浦醫院四方山話―543『平成の日本住血吸虫症』

 山梨日日新聞がシリーズで「やまなしの平成30年」を定期で報じていますが、何回目かに「平成の地方病」を取り上げるそうで、このところ二人の若い記者が入れ替わりでよく取材にみえます。二人とも山梨育ちですが、昭和の末期か平成の始めの生まれと云った感じですから、学校でも「地方病」は教えられなくなった世代で「こんな病気があったことすら知らなかった」そうです。


 そう云えば、ウィキペディアで「地方病」を執筆、更新中の小野渉さんも地元・山梨の題材を執筆していく中で「地方病」を知り、「何も知らなかったことで調べてみようと思った」と執筆動機を語っていました。「知らなかった」故に「学習してみよう」は、「知」の基本ですから、仕事がらみでも次々に出てくる疑問に対処していく若い記者には、こちらも出来るだけの協力は惜しみませんが、逆に問われて確認が必要になることもあり、一緒に学ぶことも少なくありません。


 きっかけは「平成の地方病と云ったら矢張り平成8年に出された流行終息宣言だと思いますが、○○さんにとっては何でしょう?」と問われ「うーん、ちょっと手前味噌になるけど杉浦醫院の開館だね」と答えました。「それは?」「山梨の風土病だった地方病をきちんと伝承していく施設が一つもなかったことが地方病の風化にもつながり、君たちも知らなかったということになったと思うよ。杉浦醫院の開館で、微力ながらも風化の歯止めにはなっていると云う自負はありますよ」と、具体的に答えました。


 「そうですか、その辺の話をもっと聞かせてくれませんか?」となり、取材が続くようになりましたが、新聞社には新聞社の意向があり「こういう方を紹介して欲しい」とか確認内容などからして、杉浦醫院の開館がメインでないことが分かりました。

「まあ当たり前だよな」と応じつつどんな紙面構成になるのか、若い二人の記事を楽しみに待ちたいと思います。


 同時進行で、NHK甲府局の若手ディレクターからの取材と収録も続きましたから、若い記者やディレクターの眼が「地方病」に向き、彼らの問題意識や展開を構想する中で、当館を訪れ取材を重ねた結果が記事や番組となり「地方病」について周知、広報される訳ですから、そういう意味でも風土を伝承していこうと云う杉浦醫院開館の意味はあったのかなと思う今日この頃です。