杉浦醫院四方山話―351『人力車ー2』
前話の井上製車店からの手紙は、約1か月後の明治43年6月7日付けに続き、納品された人力車の領収証が入っていました。
右が店主からの私信、真ん中が印紙付きの領収書、左が封書です。ご覧のように特注の便箋に大変達筆な毛筆です。 この便箋もなかなかよく出来ていて、上部にはローマ字表記で、「KUNITARO INOUE」に住所、電話番号を記し、右端には縦書きで「井上製車店」に続き「電話 本局 二三六一番」と「振替口座 東京一八五五六番」とあり、左端上に「明治 年 月 日」と日時を記入するようになっています。この便箋と書きなれた達筆さからすると井上国太郎店主は、人力車の製作よりもっぱら営業に専念した経営者だったのかもしれません。
日本に郵便制度が誕生したのは明治4年ですから、約40年を経た明治40年代の便箋に既に振替口座番号があっても不思議ではありませんが、井上店主はこうした通信制度もいち早く取り入れ、全国に販路を拡げていたのでしょう。
その井上店主から、もう一通、翌年の明治44年2月16日付けの手紙もありました。明治43年4月に新車の仕様書を、6月に領収書を送って間もないこの手紙でも二通りの仕様書を入れて、店主が「近代仕様」の人力車を私信で勧める手紙です。
さて、その二通りの仕様車と値段を見ると安い方が七拾参円弐拾銭也、高い方は九拾壱円也とあります。約10カ月前に納品した車は、三七円五拾銭でしたから、2倍以上に跳ね上がっていて驚きました。
店主の云う「近代仕様」は、車輪にあります。これまでの車輪は木製で接地部分となる外周に金物が打ってあるモノでしたが、近代仕様車は、「輪四十本ニッケルスポーク 英国製ゴムタイヤ付壱番」とあり、車輪でなくタイヤになっています。それも英国製です。約20円安い仕様は、「輪四十本ニッケルスポーク 英国製ゴムタイヤ付弐番」とありますから、ゴムタイヤの質が壱番と弐番でこんなにも違うようです。
また、二つ折りだった乗車した時の室内である幌部分が、近代仕様では四つ折りになっている位で、一人乗りが二人乗りになった訳ではありません。デコボコ道を木製車輪で走る人力車の耐用年数がどのくらいだったのか分かりませんが、納品して一年未満の健造先生に英国製ゴムタイヤ付の新車を勧める井上国太郎氏は、現代ではサシズメ往時のホリエモン氏のようなやり手だったのでしょう。