2010年10月27日水曜日

杉浦醫院四方山話―1 『ダットサン』

昭和町で最初に自家用車を購入したのは、杉浦三郎先生のようです。
健造先生は、人力車で往診していましたが、夜の急患を診た帰り道、当時の夜道は真っ暗なうえに舗装されていないデコボコ道だったことから、人力車がひっくり返り、健造先生は投げ出され、大怪我をし、この事故が元で・・・・。
三郎先生は、運転しての往診では、診察に集中出来ないと考え、免許は取らずに運転手に任せていました。現在、私たちが事務室として使っている「看護婦室」が、夜は運転手の「宿泊室」を兼ねた6畳間でした。
 三郎先生が購入した「ダットサン」は、黒塗りで、日本の「ものづくり力」を象徴したデザインは、今も斬新で美しく、特にヒップが上品です。 押原小学校の校医として、学校検診にもダットサンで来たことをよく覚えている築地のNさんは、「運転手が、毛叩きでいつも磨いていたのでピカピカだった」「触るとビリビリしびれた」と昨日のことのように話してくれました。自動車がめずらしい時らこそ記憶も鮮明なのでしょう。
「ダットサン」は、「プリンス」と並ぶ、かつては日産自動車を代表する商標の1つでしたが、1981年に「日産」に一本化されたため、化石化しつつあるブランドです。「プリンス」といえば「スカイライン」、「ダットサン」といえば「ブルーバード」ですが、「ダットラ」の愛称で、今でもマニアに人気の「ダットサントラック」が、押越の清水米穀店で健在です。現役で活躍している「ダットラ」の持ち主・清水裕さんは、健造先生の功績を讃える「頌徳歌」を3番までスラスラ歌える方ですが、車にも「温故知新」の姿勢が屹立しています。
自動車は、数千パーツの部品から出来ていることから「その時代の流行や産業力の総体」を丸ごと醸してくれるように思います。河口湖に「自動車博物館」があるように、現存する古い車を「文化遺産」として保存していくことも意味あることだと思います。

*館内にダットサンと共に健造・三郎父子が正装しての記念写真が展示してあります。